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2005佐渡国際トライアスロン大会
「海はぬくいで」・・レースの前はいつも緊張気味の中尾友一が、笑みを浮かべている。水温の不安がないことで、いつもよりリラックスしているようだ。
「中尾さん、テレビ、みましたよ」とあちこちから声がかかる。
巣鴨のトライアスロンショップ「WESTY」さんで作っていただいた防寒帽のお陰で、浜辺に並ぶ大勢の選手の中でも、中尾友一の姿は目立っていた(もじもじくん?)。
背中が大きい。余裕もある。
日本選手権に参加する選手たちが6:45にスタート、中尾が参加する国際Bタイプはリレーの選手と一緒に、7:00スタートとなる。
昨年、台風・地震で大きな被害を受けた新潟県民を元気付けるため、泉田裕彦・新潟県知事(42)がリレーチーム「がんばろう新潟・チーム知事」の一員として、スイム2キロにエントリーしている。最年少知事とはいえ、すごいことだ。
7:00 Bタイプのスタート時間がやってきた。567人の選手達が大きな混乱もなく、次々と海に入っていく。中尾はいつもの通り、後方からゆっくりとスタート地点を越えた。
今回、中尾はひそかにスイムのフォーム改善を行っていた。NHKの番組をビデオで繰り返し観ているうちに、改善点に気付いたという。大会直前に見た日本学生選手権も参考にしたようだ。
結果、タイムこそ去年とほぼ同じだが、スイムを終わった後の疲れが全然違ったという。自分を見つめ直し、参考になるものは何でも参考にして、自分を改善してゆく中尾にはいつも驚かされる。スイムに関してはまだまだ進化するという感触をつかんだようだ。スイムのダメージが少なかったせいか、軽やかな足取りでバイクのスタートをきった。
佐渡のバイクコースは交通規制がない。そのため、全コース、車で追うことができる。文字通り追っかけることができるので、その点はありがたい。
と、はじめは思った。
が、いかんせん道路が狭い。バスが選手を抜いていく時などは、心臓が縮み上がるような気がした。こんなコースを中尾は安全に走行しているのだろうか。
道は渋滞・・・追いつくまでは気が気でなかった。
10数キロで中尾をとらえた。順調そうだ。声をかけると元気そうに答える。
20キロのエイド先で道幅が広がるので、そちらで待っていると声をかけて先行した。両津の先でコースは島の周回に入る。
そこで中尾を待った。
しかし待てども待てども来ない。
10数キロの地点で中尾の前後を走行していた選手が次々に通過していく。
「おかしい。何かが起こった」隊員の一人がつぶやく。
中尾のはるか後ろを走っていた選手まで通過したため、コースを逆行することにした。20キロのエイドにもいない。ひょっとしたら休んでいるのではないかという期待もあった。
エイドの少し先でついに発見!
パンクだった。
ここのところ、中尾はバイクにパンク時のタイヤを持参していない。ショートの場合には、パンクの修理をしていては制限時間に間に合わないからだ。パンクをしたら、いさぎよくレースをあきらめる。そのように決めていた。
しかし今回はミドルの大会、しかも時間はたっぷりある。当然タイヤは用意してあった。が持参するのを忘れてしまったのだ。
レースをあきらめきれない中尾は、後続の何人かに声をかけていたらしい。
私たちが到着した時には、タイヤを2本もっていた選手に助けられているところだった。
「自力で」・・・それがトライアスロンの本質だと思う。
当然、レース中の、選手同士あるいは応援者からの手助けは原則禁止となる。
追っかけ隊が中尾のサポートを開始して以来、いつもぶつかる壁がここに存在する。
「最高齢だから特別扱い?」と見られないように、行き過ぎのないように気をつけてはいるつもりだが・・・まったく何もしていないというわけでもない。
実はこのレース・レポートも、どこまで事実を書くべくか、悩みに悩みながら書いている。佐渡の大会は、トラブルにトラブルが続き、そしてその度に振り返ると奇跡としか思えないことが起きた。どう判断されるかは、このブログの読者にゆだねて、先に進もうと思う。
中尾友一は、20キロ付近でパンクという不運に見舞われた。更にタイヤを忘れるという不運が重なる。中尾は半ば諦めながらも、「余分なタイヤを持っていないか」と通り過ぎる選手たちに声をかけた。佐渡はパンクの多いコース、先はまだ85キロ、譲りたくても譲れないのも当然だ。
ところが奇跡が起きた。
ゼッケンナンバー566の選手が「タイヤを2本持っている、使ってほしい」と声をかけてきた。しかもレースを中断して、中尾の手伝いまで始めた。幸いタイヤのサイズもあった。
修理の間、次々と後続の選手たちが通り過ぎていく。
もう最後尾か・・・。ようやく修理がおわり、566の選手と中尾がレースに復帰した。
一難去ってまた一難・・・パンクの後、順調にバイクをこいでいた中尾友一に、激しい雨が降りかかった。早くやんで欲しいとの願いもむなしく、雨はやみそうにない。
道はところどころ狭くなり、坂も続く。
「少しでも追いつきたい。少しでもパンクのため失ったタイムを取り戻したい」・・・そんな気持ちが背中から伝わってくる。
30キロ、40キロ、50キロと順調に見えた中尾が立ち止まったのは、60キロを過ぎた辺りだ。
「寒い」
スイムでは覚悟していた言葉だが、まさかバイクで聞くとは・・・追っかけ隊に動揺が走る。
トイレからでてきた中尾の手は、奈良尾でリタイアした時と同じように冷え切っていた。露出した上腕部には、鳥肌がたっている。
何か温めるものはないかと車内を探し回った。
「あった!」隊員Aが叫んだ。
長崎大島の時に防寒対策に買っておいた雨合羽とホッカイロがでてきたのだ。
中尾の強運は続いていた。
ウェアの上に雨合羽を着てゼッケンを付け替え、ホッカイロを身体に貼り付けた。血の気が少し戻ってくる。
「さむい、さむい、さ・む・・・い!」
中尾の4つ目の習慣「いつも腹をたてる」で心と身体を奮い立たせた。
雨合羽とホッカイロで体が温まってくると、今度は筋肉が悲鳴を上げた。小木の坂を登る頃には、見た目にも筋肉が硬直しているのがわかる。
後で聞けば、歩いて登った選手もいるという。その坂を、83歳の中尾は自転車をこいで登りきった。
小木の坂(一体何キロ続いていたのだろう)を越えると、後は下りだ。筋肉が少しでもほぐれることを期待しながら、先回りをすることにした。
ランスタート直後の商店街で様子を聞くと、
「筋肉がはっている。走れない。行けるところまで行きます」
5キロ付近までは交通規制のため、追いかけることは難しい。足全体にエアサロンパスをかけてから見送った。
5キロのエイドからは、つかず離れずで追いかける。
蒸しパン、羊羹に少々の塩でちょっと元気がでたか、と思ったとたん、ついに一番恐れていたことが始まった。
痙攣だ。
両足のハムストリングと右足のふくらはぎが波打ち始めた。収まってくれ!収まってくれ!・・・という願いもむなしく、ついに右足のふくらはぎが攣ってしまった。
「いったーーい」中尾を叫んだ。
硬直がはげしくて、マッサージをすることもできない。
軽くさする。足の裏をなでてみる。収まりそうにみえた。
が、また激しく痙攣する。その繰り返しが数分続いた。
リタイアか。やめさせた方がいいのか・・・葛藤をする中、声がかかった。
「もう少し先にエイドがある。そこまで行ってみては」
声をかけてくれたのは、審判だった。
そして、その日三度目の奇跡が起きた。
「後少しでエイド」という声に元気づけられ、痙攣で硬直した右足をひきずるようにして、「後少し」を歩きとおした。
そして・・・この決断が完走につながった。
「去年は12キロで痙攣が起きたが、氷で冷やしたら走ることができた」
中尾がつぶやく。
ビニール袋3つに氷を詰めて、その上に足を置く。
1分、2分・・・その間にも選手が次々と過ぎてゆく。ほとんどAタイプの選手だった。中尾に気づいた人は「大丈夫ですか?」「中尾さん、がんばってください」と声援を送ってくれた。
「もう、ええでしょう」
中尾が立ち上がった。
ゆっくりと歩きだす。次第に早歩きとなり、そしてゆっくりだが、走り出した。
パンク、冷たい雨、痙攣・・・度重なるトラブルを乗り越えられたのは、偶然が応援したからだけではない。ゴールを目指す中尾の強い意志があったからだ。
公式タイム11時間11分36分、中尾は何かをかみしめるように、ゴールラインを踏みしめた。
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